毎日降るシャワーのような雨のおかげで、ダッカ特有の粘土質の道にはところどころ大きな水たまりが残る。水はけの悪い土地柄なので洪水が起こりやすいのだろうか。余談だが、この粘土質の土は、焼くことによってセラミックになるということで、郊外の河川敷には陶器を焼くための窯がたくさんある。地元のK氏によれば、ここは「ボーン・チャイナの名産地で、日本の有名ブランドであるN社のテーブルウェアも作っている」ように話していたが、N社のWEBサイトで見る限り、バングラデシュに子会社はなかった。
情報通信技術省の窓から外を見ると、道路の向こう側にはスラム街が見える。プロジェクトでこのビルの中に、常駐しているSさんが「アポイントまで少し時間があるので喫茶店でもいきましょう」と言うので、みんなでぞろぞろとついていった。
水はけが悪く、大きな水たまりのできた舗装していない道をリキシャが行き交い、車も時々通る。情報通信省のビルを出て右手に少し進んで、ビルの隣を見ると、なにやら建設現場の基礎工事が行われている。重機はなく、全て人手による作業だそうで、基礎のため土を掘るのも、鉄骨を組むのも、ぜんぶ人手。労賃が安く人がたくさんいるので、高価な重機を買い入れるより、職の確保のためにもコストの面でも人間の作業の方が重宝するらしい。心なしか、組んだ鉄骨は水平ではないように見えるが、そんな細かいことはどうでもよい。だいたいが、政府庁舎だって落成する前に、できあがった階から供用されている。情報通信技術省もまだ工事中なのである。
この辺りは、10年ほど前は全てスラム街だったらしいが、今ではだいぶビルに建て変わっており、もう10年もすればスラム街は一掃されてビル街になっているかもしれない、ということだった。
で、情報通信省の向い側のスラム街にいってみた。
ん、こんなところに入っていくのか?
長屋の裏の方には、牛も鶏もいるし、水道は共用。
なんでも、田舎からダッカへ出てくると、最初はこういう長屋に住んで、リキシャの漕ぎ手になって一生懸命働くそうだ。そして、長屋から脱出、他の仕事に転職することになる。バングラデシュでは、英語が通じるが、英語を話すのは中流以上、高学歴層のようだ。人口の2割、3千万人強が英語を話すが、残りの貧しい人たちはベンガル語だそうである。長屋の人たちはベンガル語しか話さない。Sさんは流ちょうなベンガル語で通訳してくれた。
下は、ブランチの準備をしている長屋の若奥さん。薪をくべて大鍋で炊き込みご飯?を作っています。
私たちはこの長屋の入り口にある喫茶店に寄った。マスターが、沸かしたお湯で茶碗をすすぎ、さらに手でぬぐった、その器にミルクとお茶を入れて出してくれる。(わかしたお湯、熱くないのか?鍛えられたスキルだ!)ポテトフライのようなものも食べろという。思い切って口にしたが、結構おいしかった。ダッカ到着3日目の朝のことである。
この写真は長屋の喫茶店とそのマスター。下の揚げ物がポテトの唐揚げ団子のような食べ物
さて、バングラディシュといえば、結構な割合で、下痢、腹痛のお世話にはなる。気をつけていても、である。私たちのメンバーの内、S氏は3日目が終わり4日目の明け方からひどい下痢と脱水症状に見舞われ病院に行くこととなり、4日目の視察・打ち合わせをキャンセルすることになった。H氏は、やはり4日目あたりからお腹をこわし、日本に帰国後、点滴を受けた。
私は4日目で帰国のフライトにのったのだが、その頃からトイレが近くなった。が、点滴するほどではなかった。
長屋の喫茶店が悪かったか、夜の高級カレーレストランのディナーミーティングで飲んだフローズン・マンゴー・ラッシーがよくなかったのか?(実はその前日も別のレストランでフローズン・マンゴー・ラッシーを飲んでいる。フローズンなので結構危なっかしいが、それでもつい飲みたくなる美味しさである。6月頃にダッカへ行ったら是非チャレンジしてみるといい。できれば外国人向けホテルのレストランなどがいいと思いますが)。
一説によると、3日目の昼食のカレーがよくなかったのでは、という説もある。こういうところは水(もちろん氷も)に気をつけるだけではだめで、料理にもリスクはあるということだった。特に、3日目の昼食レストランは、地元向けの店なので、調理済みであっても痛んでいたり、レストラン授業員の手が衛生的でなかったりする場合もあるそうだ。
少し長く居れば耐性もできるのかもしれないが、日本人は清潔好きで、雑菌への耐性は弱そうなので、十分注意する必要がある。
経験上、到着から2-3日は問題がなくても、滞在が終わりに近付き帰国の時期が近付いてくると、疲れのせいもあるのか体調が崩れやすくなるように思える。
では、バングラデシュの庶民の暮らし、よく見て下さい。長屋の女の子は美人でしたよ。写真をとらせてくれと頼んだら、恥ずかしいと後ろを向かれてしまいました(ピンクのワンピースの子)。手前はお母さんです。よく見ると裸足だなぁ。
この次の写真は、赤ちゃんを抱いた美人の若奥さん。田舎から出てきてここに済んでいるらしい。まだ10代では??? 赤ちゃんが大きくなる頃にはもっといい環境になっていると思います。
これが庶民の暮らしなので、ITとはまだちょっと遠いですかね。あと10年で相当変わると思いますが。その前に(中国や韓国のように)この国へ参入し、ブランド、企業名を浸透させていないといけません。
途上国への進出というのは、市場と一緒に成長していく、という形が一番望ましい姿だといえます。