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JISA ミャンマーミッション 紀行

(2013/03/18)

JISA ミャンマーミッション 紀行

平成25年1月30日(水)~2月3日(日)に、JISA会員企業9社14名がミャンマー・ヤンゴンを訪問しました。JISAのカウンターパートであるミャンマーコンピュータ協会(MCF)と懇談を行ったほか、現地のソフトウェア・サービス企業3社および日系IT関連企業4社を訪問、視察しました。
以下に、視察中に見たこと、感じたことをいくつかまとめてみました。

1.若い女性エンジニアが8割
まず各社を訪問してとても驚いたことは、現地社員の約8割が女性、しかもほとんどが20歳代の若い女性であることです。ヤンゴンコンピュータ大学の学生も、女性が圧倒的に多いそうで、これはコンピュータ関係学部に関わらず、どの大学のどの学部の学生も、同様に8割程度は女性とのことでした。
原因として考えられるのは、ミャンマーでは国内市場が小さいため魅力的な求人が少なく、ヤンゴンコンピュータ大学の卒業生の就職率はわずか30%程度という就職難のため、有能な男性はシンガポールなどの国外へ留学・就職してしまい、それ以外の男性は1次産業に従事することが多いそうです。また、ミャンマーのIT産業はまだ新しく、経験を積んだエンジニアがほとんどいないため、若い女性のエンジニアが8-9割となっているようです。訪問した日系IT企業の方の話しでは、若くまだ経験があまりないエンジニアがほとんどのため、グループを管理できるレベルの人材がほとんどいないので、その育成に努めて務めているとのことでした。

2.治安の良さ
治安は非常に良く、泥棒やひったくりなどは、あまりないとのこと。これは、90%が仏教徒であり、日本と似たところがあるといえるかもしれません。日系IT企業の若い女性社員によれば、暗い夜道を歩いていて危険なのは、痴漢やひったくりではなく、工事中の道のあちこちにある穴に落ちて怪我をすること、だとか。これから国の経済が成長しても、このような良いところは廃れないでそのままであって欲しいものです。

3.クレジットカードは使えない
ヤンゴン市内のトップグレードレベルのホテルでもクレジットカードは使えませんでした。銀行等に金融システムサービスを提供している現地企業に聞いたところ、数年前にミャンマーでクレジットカードの普及を試みたが、まだ国民の所得が十分高くないことと、国内のインフラやシステムに問題があり、失敗に終わったとのこと。
最近は、クレジットカードではなく、デビットカードが徐々に普及しつつあるとのことでした。

4.頻繁にある停電
2001年に訪緬した時と今回とで変わらなかったことの一つは、ホテルでの停電です。宿泊したヤンゴン市内のトップレベルのホテルでは、1日に何度も、いきなりホテル全館が停電します。宴会場も、エレベータも、エアコンも、夜ならいきなり真っ暗に。でも、いつも数分程度で必ず復旧するとわかっているためか、みんな全く動じず、騒がず、冷静に復旧するのを待っていました。

5.日本の中古車の多さ
2001年に訪緬したときは、町中を走っている車は、20年以上は経っていそうなぼろぼろの日本の中古車が多く、車体に○○商店、とか、××株式会社、そしてその電話番号まで書いたまま走っていました。ところが、今回訪問して町中で走っていたのは、ぴかぴかのまだ数年しかたっていないような中古車で、23または24(平成23年・24年)と書いた日本の定期点検ラベルがフロントガラスの左上に張ってある車が大半でした。乗用車の内装は、日本語のカーナビや機器類がそのまま付いています。もちろんカーナビは使えないのですが、電源は入っていて、日本語で表示もされています。
現地の方によると、2年くらい前に政府が自動車の関税を大幅に引き下げたため、良い自動車を買える人が急に増えたそうです。
路線バスなども日本の中古車が多いようですが、こちらはまだかなり古いものが多いようでした。      

6.韓国に先を越された開発援助協力
ヤンゴン郊外にあるソフトウェアパーク、MICTパークの中にあるミャンマーICT協会MCFを訪問しました。まず、建物の中には、韓国からの開発援助協力を記念する2004年11月付のパネルが張られ、部屋の机には、同じく韓国からの援助で購入したことを示すラベルが付けられていました。そして、ミャンマーのICT政策であるマスタープランの表紙には、一番上に韓国とミャンマーの国旗。ページ下には、韓国の国際協力機関であるKOICA(JICAの韓国版)と韓国電子通信研究院ETRI(日本の産業総合研究所のような研究機関)のロゴが大きく印刷されています。つまり、このMICTパークも、335ページのミャンマーICTマスタープランも、韓国の開発援助予算で作られた、ということです。
町中では日本の中古車が大半を占めているにもかかわらず、ソフトウェアパークや国のICT政策策定にはすっかり韓国に先を超されていたのです。
ミャンマーなどの新興国では、外貨をはじめとするリソースが乏しいので、国の産業を発展させるためには海外からの援助が必要であることはいうまでもありません。日本も、ODA等をうまく活用し、日本企業が新興国へ進出する足がかりをつくることは非常に重要なことだと思います。
昔は日本がやっていたことをお手本にしていた韓国が、いつの間にか日本の先を越して、既に8年も前に協力関係を築いていたようです。


MICTパーク(ソフトウェアパーク)内に掲示されている、韓国政府からミャンマー政府への産業開発援助・協力の記念パネルは2004年11月1日付でした。もう8年以上前です。







MICTパーク内の机などの備品には韓国政府からの援助で購入したことを示すラベルが張ってありました。






7.終わりに
ミャンマーを12年ぶりに訪問してみて、新しい車が増えたり、高いビルができていたり、という変化はありましたが、ミャンマーの人々の素朴さはほとんど変わっていないと思いました。
ミャンマーは、まだまだこれから大きく発展していく可能性が高いですが、長い目で見て、日本とミャンマー間で良い関係を築いていくことが大切だと思います。
非常に日本と親和性が高い数少ない国ですから、大切にしていきたいですね。